佐野厄よけ大師
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佐野厄よけ大師
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栃木県佐野市金井上町2233
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企業情報
COMPANY
佐野厄よけ大師
〒327-0015 栃木県佐野市金井上町2233
TEL. 0283-22-5229
企業ホームページ
https://sanoyakuyokedaishi.or.jp
採用ホームページ
https://entori.jp/sano-yakuyoke
【当寺院から】
【宗派】天台宗
【本尊】如意輪観音
元三大師
【寺院内容】
厄よけ、方位よけ祈願等 関東の三大師
【春日岡山の歴史】
春日岡(かすがおか)とよばれ、多くの人から
親しまれている寺である。
朱雀(すじゃく)天皇の944(天慶七)年3月、
奈良の僧 宥尊(ゆうそん)上人が開いた寺で、
最初は日本の仏教で最も古い南都六宗の
法相宗に属し、正しくは春日岡山転法輪院惣
宗官寺 (かすがおかやまてんぼうりんいん
そうしゅうかんじ)という。
藤原秀郷公が平将門降伏の誓願により、佐野
の春日岡 (現在の城山公園)の地に、春日明神
の社殿とともにお寺を建て 朱雀天皇に申し上
げたところ、天皇は大変喜ばれ「春日岡山
惣宗官寺」の勅額を賜ったといわれている。
それ以来、藤原一門の信仰あつく栄えたが、
平安時代の末期の保元・平治のころに衰えた。
その後比叡山の僧で俊海という人が、父の
藤原光憲から「春日岡は、わが祖父である
秀郷公の創立した氏寺である。
昔、保元・平治の乱に殿堂が焼けて灰に
なったが、父の志を継ぎ修行の後にこの山を
復興せよ。
このことを深く 心にとどめ、この寺の荒れ果
てたことを憂い、正応年間(鎌倉時代)に信徒
を集めて、藤原一族および北条一門の 有志と
はかり、鎌倉幕府九代執権北条貞時をさとし、
1297(永仁五)年8月に復興完成し、
これ以後「法華経」を所依の経典とし、
伝教大師を宗祖と仰ぐ天台宗となる。
その後十二世の僧豪海のときに1602(慶長
七)年、秀郷公から30代の佐野信吉公が、
幕命により唐沢城をこの春日岡(城山公園)に
移すにあたり、寺は現在地に移転した。
徳川時代に御朱印五十石を拝領し、寺社奉行
も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等徳川
幕府との縁故も深い。
また当山は、厄よけ元三慈恵大師(御本地・
如意輪観音)を安置し、厄よけ、身体安全の
祈願を続けており、 年毎に信者が激増し、
正月大祭には約百万人以上の参拝客を仰い
でいる。
【厄除け大師とは】
大師は俗姓を木津氏といって12歳の時、
比叡山に登り出家し、法名を良源(りょう
げん)と称した。
966(康保三)年十八代天台座主となり
叡山中興の祖とあがめられた。
995(永観三)年世寿74歳で遷化(せんげ)
され、慈恵大師と申し上げる。
大師は生前より密教の行法を深く修め、多く
の神秘奇跡の多かったところから、俗間の
信仰をあつめている。
当山安置の大師像は大師の42歳のとき、
比叡山解脱谷(げだつだに)においてこの世の
人々の厄難苦悩をあわれみ、 能化世間苦
(のうくせけんく)の秘法を感得したまい、
大師は如意輪観世音(にょいりんかんぜおん)
のご化身といわれている。
当山には、上野寛永寺門跡一品(いっぽん)
親王直筆による大師称名の御真筆を拝領している。
【創建】
天慶7年(944年)
【代表者】
住職 旭岡 靖人